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みんなの「介護生活のこと」ブログ


7.介護の戦い

2008/12/05 16:45
母親を介護していて、思うことは、
介護される方も、する方も試練があるということ。

発作のために、苦しんでいる母親を見るたびに、
いっそのこと、楽にしてあげたいという感情も起ります。

でも、その感情は、
苦しんでいる母親を楽にさせてあげたいからなのか?
それとも、苦しんでいる親を見るのが辛い自分のためなのか?
そんな葛藤も日々経験します。

とにかく、介護する側が、へばったら
かわいそうなのは、介護される方です。

だから、介護すると決めたら、
ある程度、上手にストレスを解消しながらやらないと
長続きしません。

寝たきりの親を10年も自宅で看ていた息子さんから
アドバイスをもらいました。
「あらゆるサービスを使いなさい」と
そして、
「家族も楽しみを犠牲にしないようにしなさい」と

その上手い調整があって、
親身になって、疲れずに介護を続けることができるのです。

私が、実際に介護して感じたことは、
あるていど、感情を押し殺すということです。
つまり、苦しんでいる母親に、
(酷ですが)同情しないということです。

ちょっと誤解が生じるかもしれませんが、
この場合の同情とは、
自分も一緒になって落ち込まないということです。

かわいそうに思う気持ちは大切ですが、
介護者は、へばってはいけないのです。
いつも、元気付けていかなければいけません。
いつも、励まし続けなければいけません。

だから、あえて感情を抑えて、
タンタンと介護していくのです。

むしろ、楽しませるように、
笑わせるように工夫した方がいいかもしれません。

鬱の症状は、ややもすると感染しそうになりますが、
そこを自己防御して、日々介護を続けていきましょう。



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3.「介護とは」

2008/04/17 16:19
母を介護してて思うのは、
「介護」とは,
介護されている側との戦いではなく、
つくづく自分自身との戦いだということです。

介護される側に何の罪も責任もありません。
病気で痛みを訴え、
心が癒されずに悲しみや寂しさを訴え、
やむを得ず、人に頼らずには生きていけない状態になっているのです。

そうだと十分分かっているつもりでも、
夜中何度も起こされると、
なぜかしら心に怒りが湧き起こってくるのです。

「自分のなんと小さなことか?」
と自己嫌悪になってしまいます。

臨床心理士の友達と話していたら、
(彼も母親を介護している)
彼は、その「怒り」の感情をこう説明しました。

「その怒りとは、きっと親に対する甘えなんだよ」と

確かに、言われてみればそうかもしれない。
親はしっかりしていてあたりまえだったし、
常に最後までそうであってほしいという願望があって、
そうでない現状に対して「怒り」となって現れるのかもしれない。

そんな時、良寛さんの詠んだ句が、慰めてくれる。

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」

親って、常に子供の先頭にたって、
いろいろと教えてくれる存在。
人生の終わりに差し掛かって、
息子に身をもって教えてくれる。

「もし、自分が年取ったらどうなるんだろう?」


毎日、痛みを堪えて
「早く死にたい、飛び降りたい」という親に対し、
「最後まで、先祖がお迎えにくるまでは、ちゃんと頑張るように」と説得している。
「母ちゃんが頑張ると、俺も頑張らなきゃいけないから・・・」
ちゃんと、もみじの裏を見せながらでいいから、
最後まで、介護させてくれ、と願うのも甘えだろうか?



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